随分前に友人に、ぼくの悩みのような話をしたことがあった。んー悩みってのはちょっと違うか。「ぼくに訪れている面倒なこと」はこんな感じだよと言った。まぁ大したことはない話だったと思う。あまり口に出したりはしなかった話ではあったと思うけどね。そして、それを聞き終えた友人はこう言った。「アツいな!」って。笑顔でね。こうなんというか、ぼくが不幸であることを喜んでいるような、優越感を持った笑みに見えた。ぼくには。ショックだった。信頼していたから。
ぼくはそのことを未だに根に持っていて、時にその痼りが疼き出すような感覚がある。

ぼくが見た笑みは、ぼくが見たくなかった笑みだった。ぼくがあのとき、目を伏せて喋っていれば良かったのに、と思う。そうすれば、今でも友人のことをもっと信頼できていたように思うから。全てはぼくが思っているだけのことだから。

だからなんだって話なんだけど、疼き出したからね。

いや、別にうまくいったことなんてたいしてないけどね、最近はこうなんか全然うまくいかないのね。つくれども、つくれども。うまくいかないというか、途中で飽きたり投げ出したりってことなんだけどね。ちゃんと失敗してないから、はいおしまいねって閉じてなくてタチが悪い。未練みたいなゴミがどんどん溜まってる。ぼくの中がゴミ屋敷みたいになってる。しまいには腐って嫌な臭いまで出てきた←イマココ

こういう感じのときに、なぜだかいつも働きたくなる。変なの、と思うんだけど。

どっちでもいいよ、なんでもいいよ、って言うときに、なんか適当に選べるようになりたい。マジでどうでもいいから、選ぶことに躊躇しないし考えないしって感じで。

どっちでもいいよ、なんでもいいよ、なんて言ってるのに、実際のところは「選べない」ってのはなんかね。違うよねー。

全然伝わんないな、これ。

短冊「ピアノが上手になりますように」「犬が飼えますように」「絵が上手になりますように」とかかわいいなぁ。

「はしりがはやくなりますように」と子どもっぽい字で書いてあるのがあったんだけど、(車)って書いてあって、「ガキ、おまえクルマ乗んのかい!」ってツッコミを入れてしまった。

「就職できますように」などの大人な願いもちらほら。時代を反映してんのかな。いつもこんなもんなのかな。いや、まぁ、ぼくも、ねぇ、その、あれですけども…はい…。

それと、「織姫と彦星が出会えますように」ってのがあって、おっちゃん胸キュンやったわ。

みんなの願い、叶うといいね。

みんなの願いがかないますように☆

ぼくは仲間と共にいた。もう正午からこちら四時間ほどだろうか、ぼくの意識は前後に揺れ続けている。

途切れ途切れの音の中に仲間の声を見つけ、ただその音だけを便りに仲間の背中を探す。仲間の黒い背中が見えている間に追いつかないといけない。仲間の声はどんどん小さくなる。

灰色の空が白く開けてきた。ぼくの瞬きの回数はどんどん増えていく。耳にはもう仲間の声は聞こえない。暴力的な風の音とぼく自身のはぁはぁという声しか聞こえない。ぼくの意識はもう後ろへ折れ曲がったままだ。眩しくてもう眼を開けていられない。

真っすぐ進んでいたぼくの視界が突然真っ白になった。ざあざざとラジオのノイズのような音が聞こえる。仲間の声は聞こえない。ぼくの身体はどこかへぬるぬると勝手に進んでいく。身体から力が抜けていく。

音がふっと途切れ、視界が元に戻った。ぼくは山の中で倒れていた。全身がずぶ濡れになっていたが、起き上がることができないくらい脱力していた。頭上で鳥の鳴く声が聞こえた。仲間の声は聞こえない。

はてなブックマーク – 「泣くのはやめなさい。男の子なんだから」 – kobeniの日記 を見てモヤリとしたのでなんか書く。

全然まとまってない。思いながらそのまま適当に書いてる。まとめる気ナシ!

※ぼくは人前で泣く人間です(ここ重要)。自分を正当化する気マンマン!
※若干の暴言を含む

やっぱり泣いたらアカンのかー。

人前で泣くのは恥ずかしいなーと思うけど、泣いてる人を見て「こいつ、恥ずかしい奴やな」とは思わんなー。なんかもっと軽い感じの恥ずかしさかな。「オレ、ハズッ!」って言っちゃえるくらいの恥ずかしさ。自分だけの恥ずかしさ。そもそも、ひとに「恥ずかしい奴やな」とか思うのってどんだけエラそうやねん。そう思うことのほうが恥ずかしいわ。

泣くことにも泣かれてしまうことにも慣れてないんじゃないか。泣かれてしまったんだけど、どう対処していいかわからないので困るから、オレの目の前で泣くな、みたいな。泣く人の前で無能になってしまう自分が嫌、とか。

ただ涙が流れるだけの泣きもある。「うえーん」って感じじゃなくて、静かに泣いて、心も情動に引っ張られたりしないやつ。オレは結構これ多いなー。思考もそのままで、目にゴミが入ったときとあんま変わんない。鼻水も出るけども。

泣かせた側ってのも存在するんじゃないのか。当たり前に。そいつは悪くないの?あくまで泣く奴が悪いの?「あ、こいつ泣いてまうやろな」と気を利かせられない奴は悪くないの?泣くことを善しとしないなら、こういう視点もうまれて、よりギスギスするような気がするけど、オレは社会の一員ではないのでよく知らん。

泣いて、場をかき回すとか、煙に巻くとか、面倒なこと全部シャットアウトーみたいなのはアカンと思うけどねー。男はこういう泣き方あんまり効果的にできないような気がするけどねー(やってみたい)。つかこういう泣きのことが「泣くな」の対象になってるのかな。

でも、泣くとこがもう、その人の限界点ってことも大いにあるな。でもやっぱりそれは泣かせる側の問題。

泣かないと始まらんなーみたいなときあるなー。泣くことでスイッチ入るみたいな。

泣くの我慢するといろいろ痛い。目とか胸とか背中とか。

泣くと感度が上がる(何の)。

ぼくは多分「泣くな」と言われて育ってきたんだけど、別にそれによって泣くことを悪だと思ったことはない。

ぼくは勝手に、涙は男の武器だと思ってる。

以前に従兄弟との話の中で、ぼくが子どもの頃、泣きながら怒鳴って暴れてた、という話が出たんだけど、ぼくはそれに対して「幼きぼくの男らしさだった」と答えた。

確かにぼくは打たれ弱い。

泣くことに意味がないから泣くなと言うのなら、機械とでも喋ってろ。意味がないなら尚更重要やろ。

TV見ても、映画観ても、本読んでも、ラーメン食っても、セックスしてても、散歩してても、シャワー浴びてても、鼻毛抜いてても、失恋しても、泣く奴は泣く。泣くってそんなもんだと思う。ここは泣くとこです、とかここは泣かないとこです、とかないでしょ。どっかに脚本あんの?え、あんの?脚本に気付いてなかったのオレだけ?

自分がどんな顔で泣いてるのか、まだ知らない。

なんかまた社会から一歩遠ざかった。

そういや、泣かされたことってここ何年もないなー。勝手に泣いてるオレばっかり。

車の運転がそこそこ好きなんだけど、あんまり上手ではない友だちがいる。運転中テンパってくると、急カーブなのにアクセル踏み込んじゃう友だち。助手席のぼくに「あ、しぬ」って思わせる友だち。

ぼくはその運転に対してこう言ったわけよ。「好きなんだろ?好きなのにこれかよ!」ってまぁ笑いながら。
友だちはこう返したの。「「好き」と「上手」は違う。関係ない」って。

至極真っ当な言葉だと思う。なんの大したことは無い、当たり前の言葉だと思う。ふーんとも、へーとも思わない言葉だと思う。だけど、当たり前の言葉はたまに、真っすぐにぼくの中に入ってくる。

ぼくは多分その言葉を結構気に入ってて、いろんな時に思い返す。
ぼくは一応、毎日ただ好きなことをアホな顔をしてアホみたいに延々続けてることになってる。でもね、好きなことやっても、99%くらいはうまくいかないし、うまくいったって何にもならないんだよね。
そんな中で、「あーしんどいなー」って時とかにその言葉を思い返して、「あー別にうまくなくてもいいよなー」って思うの。思って、「よしっ!」って気になるの。「こっちは好きでやってんだよ、バーカ」って。
そりゃまぁうまい方がいいけどさ。うまくいって何かになればいいけどさ。「うまいこと」やるために好きことやってるわけじゃないんだよな。

あーなんか何言いたいのかわかんなくなっちゃったな。
ブログ書くのは好きだけど、うまくは書けないんだよ。んでそれは別に関係ないんだよ。バーン!