Tag: thought

前まではなんというか、夢も希望もなく絶望してて安定してた。何にもなかったんだけど、心は穏やかでそれはそれでよかった。悪い面も多々あったけれど。善悪は別にして自分にはフィットしてた。
でも今はそうじゃないような気がする。貧しいご飯を食べてなんだかしょんぼりするし、ひとりぼっちがすこしさみしかったりもする。不安定。貧しいのも孤独なのも当たり前だったはずなのに。ある意味で強かったはずなのに。誰かのことは誰かのことで、ぼくには関係のないことだったのに。
何も変わってないのになんでこんな風に変化しちゃったんだろう。ぼくの平和が乱されてしまった。はやく戻りたい。
何か期待してるのかもしれない。ぼく自身に対してかそうじゃないのかわかんないけど。なんかそういうのはほんと気持ちが悪い。自分がまともな人間じゃないってことを忘れかけてるのかもしれない。何に対しても期待できない人間だったはずだ。誰かと同じようにはいかない。許されない。よくない。
そんなもやもやした感じでここんとこ過ごしてる。仕事もないし、ぼーっとして、たまにドラマや映画を観て、音楽を聴いて、貧しいご飯を食べて。そして、たくさん眠っている。毎日が眠たくて仕方がない。眠っているのも起きているのももうたくさんだ、という気がしてくる。

Meat:
合い挽きミンチが安かったので、メンチカツとハンバーグを作った。念願の合い挽きミンチよ(経済的都合上)。グラム単価が芋の数倍だもん。
肉にほぐしたフランスパン(自作よ)とか炒めた野菜屑とか塩とか混ぜて、練って練って揚げるor焼くだけ。パン粉ももちろん自作(フランスパンを加工)。両方ともうまくできた。練り具合が良好だったのか、肉汁が流れ出ず留まり、箸を通した瞬間じゅわ〜っと溢れ出た。次はチーズインハンバーグを作ってみたいな。あと久しぶりにささみチーズカツも作りたくなったな。料理欲は止まらない。

Neet:
なぜニートは批判されるのか、なぜニートは働けと言われるのか。
ぼくが直接迷惑をかけている対象はぼくの親兄弟であって、社会ではない。
なぜ生活保護の話が出てくるのか。それはまた別の問題じゃないのか。仮に同じ問題であったとしても、それは受給者側の問題なのか。
働かない人間がいることで何か問題があるのか。働かずに給料を得ているわけでもないわけだし。
税金?納めるべき税金は納めているんじゃないか。
恥だ生き甲斐だ充実だ幸福だプライドだと、倫理/人生観はひとに押し付けるものではないと思う。それが多数であっても。
将来は誰にとっても不確定なものでしょう。そもそも安定していなければいけない、なんてことはないだろう。

なんというか、ぼんやりと全体的にこう、正解枠がすんげぇ限られてて、その正解枠からはみ出たらとにかく批判されてしまう、というような構図に見える。なんかもう義務だなんだという話じゃないような気がする。出る杭は打たれるじゃないけど、結局純潔主義というか、多様性を認められないんじゃないか、というような風に思ってしまう。世間という空気は変わらないものなんだなぁと。ぼくがぼーっとしている間にもっと変わったりするもんだと思ってた。

なんかどんどんしんどくなってくような気がするよね。条件狭めてカテゴライズしてラベリングして区切ってってさ。首締めて救われる人っていんのかな。ツラい思いをしないでいい人間が多い方がいいって思わないのかな。

ぼくはphaさんの様にはなれないから働くしかないけどね。何度も言うけどもうお金ないし。ぼくはぼくのしたいこと/できることをする。できれば助け合いたいし活かし合いたいと思う。

まぁアレよ、MeatとNeetの話がしたかったってだけのことよ。後者は書いててもいい気しないねぇ。

車運転してるときの「流れに乗った運転」って、法定速度を超えて運転してもいい(法に反しない)のか、誰か教えてくれ。
追い越し車線(片側に複数車線がある場合での一番右側の車線)は、法定速度を超えて運転してもいい(法に反しない)のか、誰か教えてくれ。
前方を走る車を追い越すときに、法定速度を超えて運転してもいい(法に反しない)のか、誰か教えてくれ。

もしそれらが法に反している場合、それを自分以外の人間に強いることは、世間一般のモラルに反しないのか、誰か教えてくれ。

この歳になっても、玄関の向こう側のルールがわからなさすぎる。こんなだからこんななんだ。

多分ね、損したくないだけなんだよね。損したくないだけで、良いこともやっちゃうし、悪いこともやっちゃう。善意も悪意も無いの、損しなかったらいいの。楽。
多分ね、何が損なのかなんてみんなが決めてくれるしね。自分ひとりで決めるのなんて損だからね。楽。
多分ね、こんな感じだから、風向きが変わればいろいろ勝手に変わるよ。楽。

極端な言い方すると、「見る目」なんて持ってるやつはいない。
見たいものを見たいように見るようにしかできてない。
うまく見ることができなかったときは、なんか別の「見る目」を借りてきて見る。
そうやって、誰かを愛したり傷つけたりする。
ぼくも含めて。
だけど、貴方は違うんだよね。

随分前に友人に、ぼくの悩みのような話をしたことがあった。んー悩みってのはちょっと違うか。「ぼくに訪れている面倒なこと」はこんな感じだよと言った。まぁ大したことはない話だったと思う。あまり口に出したりはしなかった話ではあったと思うけどね。そして、それを聞き終えた友人はこう言った。「アツいな!」って。笑顔でね。こうなんというか、ぼくが不幸であることを喜んでいるような、優越感を持った笑みに見えた。ぼくには。ショックだった。信頼していたから。
ぼくはそのことを未だに根に持っていて、時にその痼りが疼き出すような感覚がある。

ぼくが見た笑みは、ぼくが見たくなかった笑みだった。ぼくがあのとき、目を伏せて喋っていれば良かったのに、と思う。そうすれば、今でも友人のことをもっと信頼できていたように思うから。全てはぼくが思っているだけのことだから。

だからなんだって話なんだけど、疼き出したからね。

いや、別にうまくいったことなんてたいしてないけどね、最近はこうなんか全然うまくいかないのね。つくれども、つくれども。うまくいかないというか、途中で飽きたり投げ出したりってことなんだけどね。ちゃんと失敗してないから、はいおしまいねって閉じてなくてタチが悪い。未練みたいなゴミがどんどん溜まってる。ぼくの中がゴミ屋敷みたいになってる。しまいには腐って嫌な臭いまで出てきた←イマココ

こういう感じのときに、なぜだかいつも働きたくなる。変なの、と思うんだけど。

どっちでもいいよ、なんでもいいよ、って言うときに、なんか適当に選べるようになりたい。マジでどうでもいいから、選ぶことに躊躇しないし考えないしって感じで。

どっちでもいいよ、なんでもいいよ、なんて言ってるのに、実際のところは「選べない」ってのはなんかね。違うよねー。

全然伝わんないな、これ。

はてなブックマーク – 「泣くのはやめなさい。男の子なんだから」 – kobeniの日記 を見てモヤリとしたのでなんか書く。

全然まとまってない。思いながらそのまま適当に書いてる。まとめる気ナシ!

※ぼくは人前で泣く人間です(ここ重要)。自分を正当化する気マンマン!
※若干の暴言を含む

やっぱり泣いたらアカンのかー。

人前で泣くのは恥ずかしいなーと思うけど、泣いてる人を見て「こいつ、恥ずかしい奴やな」とは思わんなー。なんかもっと軽い感じの恥ずかしさかな。「オレ、ハズッ!」って言っちゃえるくらいの恥ずかしさ。自分だけの恥ずかしさ。そもそも、ひとに「恥ずかしい奴やな」とか思うのってどんだけエラそうやねん。そう思うことのほうが恥ずかしいわ。

泣くことにも泣かれてしまうことにも慣れてないんじゃないか。泣かれてしまったんだけど、どう対処していいかわからないので困るから、オレの目の前で泣くな、みたいな。泣く人の前で無能になってしまう自分が嫌、とか。

ただ涙が流れるだけの泣きもある。「うえーん」って感じじゃなくて、静かに泣いて、心も情動に引っ張られたりしないやつ。オレは結構これ多いなー。思考もそのままで、目にゴミが入ったときとあんま変わんない。鼻水も出るけども。

泣かせた側ってのも存在するんじゃないのか。当たり前に。そいつは悪くないの?あくまで泣く奴が悪いの?「あ、こいつ泣いてまうやろな」と気を利かせられない奴は悪くないの?泣くことを善しとしないなら、こういう視点もうまれて、よりギスギスするような気がするけど、オレは社会の一員ではないのでよく知らん。

泣いて、場をかき回すとか、煙に巻くとか、面倒なこと全部シャットアウトーみたいなのはアカンと思うけどねー。男はこういう泣き方あんまり効果的にできないような気がするけどねー(やってみたい)。つかこういう泣きのことが「泣くな」の対象になってるのかな。

でも、泣くとこがもう、その人の限界点ってことも大いにあるな。でもやっぱりそれは泣かせる側の問題。

泣かないと始まらんなーみたいなときあるなー。泣くことでスイッチ入るみたいな。

泣くの我慢するといろいろ痛い。目とか胸とか背中とか。

泣くと感度が上がる(何の)。

ぼくは多分「泣くな」と言われて育ってきたんだけど、別にそれによって泣くことを悪だと思ったことはない。

ぼくは勝手に、涙は男の武器だと思ってる。

以前に従兄弟との話の中で、ぼくが子どもの頃、泣きながら怒鳴って暴れてた、という話が出たんだけど、ぼくはそれに対して「幼きぼくの男らしさだった」と答えた。

確かにぼくは打たれ弱い。

泣くことに意味がないから泣くなと言うのなら、機械とでも喋ってろ。意味がないなら尚更重要やろ。

TV見ても、映画観ても、本読んでも、ラーメン食っても、セックスしてても、散歩してても、シャワー浴びてても、鼻毛抜いてても、失恋しても、泣く奴は泣く。泣くってそんなもんだと思う。ここは泣くとこです、とかここは泣かないとこです、とかないでしょ。どっかに脚本あんの?え、あんの?脚本に気付いてなかったのオレだけ?

自分がどんな顔で泣いてるのか、まだ知らない。

なんかまた社会から一歩遠ざかった。

そういや、泣かされたことってここ何年もないなー。勝手に泣いてるオレばっかり。

車の運転がそこそこ好きなんだけど、あんまり上手ではない友だちがいる。運転中テンパってくると、急カーブなのにアクセル踏み込んじゃう友だち。助手席のぼくに「あ、しぬ」って思わせる友だち。

ぼくはその運転に対してこう言ったわけよ。「好きなんだろ?好きなのにこれかよ!」ってまぁ笑いながら。
友だちはこう返したの。「「好き」と「上手」は違う。関係ない」って。

至極真っ当な言葉だと思う。なんの大したことは無い、当たり前の言葉だと思う。ふーんとも、へーとも思わない言葉だと思う。だけど、当たり前の言葉はたまに、真っすぐにぼくの中に入ってくる。

ぼくは多分その言葉を結構気に入ってて、いろんな時に思い返す。
ぼくは一応、毎日ただ好きなことをアホな顔をしてアホみたいに延々続けてることになってる。でもね、好きなことやっても、99%くらいはうまくいかないし、うまくいったって何にもならないんだよね。
そんな中で、「あーしんどいなー」って時とかにその言葉を思い返して、「あー別にうまくなくてもいいよなー」って思うの。思って、「よしっ!」って気になるの。「こっちは好きでやってんだよ、バーカ」って。
そりゃまぁうまい方がいいけどさ。うまくいって何かになればいいけどさ。「うまいこと」やるために好きことやってるわけじゃないんだよな。

あーなんか何言いたいのかわかんなくなっちゃったな。
ブログ書くのは好きだけど、うまくは書けないんだよ。んでそれは別に関係ないんだよ。バーン!

Page 1/10

Yasutaka Sato

Neet / Web Designer

More...